越前焼 小鉢揃 輪花[化粧箱] 福井
径11.5cm×高さ5.5cm
化粧箱入りです。
越前焼は、今から約850年前の平安時代末期から始まりました。
その頃は、主に水がめ(水や穀物用)や、すり鉢といった日用雑器を中心に生産しておりました。
そして、越前海岸に近い立地から商品は北前船によって北は北海道から南は島根県まで広まり、北陸最大の窯業産地として発展しました。
しかし、水道の普及や磁器製品の広まりによって需要が落ち込み、越前焼は一時期衰退してしまいました。
その後、地元の研究者 水野九右衛門氏と、日本の陶磁器研究者 小山冨士夫氏によって発掘調査と研究が進められ、復興を遂げることになりました。
また、昭和23年には小山冨士夫氏によって越前焼が「日本六古窯」の一つに数えられ、全国に知られる焼き物となりました。
越前焼の名称は、昭和40年5月の県窯業開発振興協議会において、県内で生産される各窯元の焼き物の名称を越前焼に統一することが決定されました。(福井県窯業誌より)
その後、昭和46年には越前陶芸村が建設され、昭和61年には国から伝統工芸品として指定を受けました。
また、平成29年4月には日本六古窯として日本遺産認定を受け、県外だけでなく海外に向けても発信を続けています。
越前焼は、福井県丹生郡(にゅうぐん)越前町(旧宮崎村、織田町)に粘りのある鉄分の多い陶土があったことによって生まれました。その足跡は、地名である丹生郡の「丹」(赤土という意味を持つ)からもうかがうことができます。
昔は、良質な土を見つけるとそこに窯元の集団が集まり、そこで焼き物を製作し、その場で窯を作り焼成していました。そして土がなくなるとその集団はまた良質な土を求めて移動しており、現在その窯跡はこの陶芸村近辺を中心に200基以上発見されています。
現在も当組合ではこの陶土にこだわり、越前町内で採取した土を、当組合の坏土工場で精製したものを窯元に供給して商品を作っています。また、越前の土は鉄分を多く含むため、焼き上がりが渋くなるのがその証で、温かみのある土味が最大の魅力です。